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“河津三郎祐泰”
かわづさぶろうすけやす
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日本の三大仇討ち物語の一つ「曽我(そが)物語」のルーツ
曽我兄弟の父 谷津に館の内(たてのうち)という地名があり、バス停には館跡(やかたあと)と書かれている。この辺りが平安時代の末頃に河津氏の館があった場所といわれている。河津三郎の父伊東祐親が建てたもので、北条政子(源頼朝の妻)の母、曽我物語で有名な河津三郎の子五郎時致と十郎祐成がこの館で生まれています。
曽我物語のルーツはその頃の伊東の領地争いからはじまります。工藤祐経から伊東祐親暗殺の命をうけた大見の小藤太と八幡の三郎は奥野で頼朝一行と狩りを楽しんでいた祐親を赤沢山で待ち伏せします。一番手の大見は機をのがしてしまったが、二番手の八幡の三郎が放った矢は目的の祐親ではなく、側にいた河津三郎に当たってしまいました。三郎はちらりと見えた敵の名を告げ、「妻子をたのむ」と一言残した後その場で息をひきとりました。その後、妻の万却は子供を連れて相模に住む曽我の太郎と再婚。そして十八年後、曽我兄弟は元服し、富士で巻狩中の祐経を夜いんに乗じて襲い、見事に父の敵を討つのでした。


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河津八幡神社
河津三郎の力石 谷津の河津八幡神社の境内に、力持ち河津三郎が力だめしに使っていたといわれる手玉石(約60Kgから270Kg)がある。(河津三郎の力石の写真を場所がかわって撮り忘れてきました。)


手玉石とは、「かるく手玉にとる」からきている。河津町出身の彫刻家後藤白童氏の作「河津三郎力石」の像には、名横綱双葉山書の題字が刻まれている。神社には祭神として三郎と曽我兄弟がまつられ、これにあやかって大祭の日の11月14・15日には子供相撲大会が催される。


相撲四十八手の珍手
かわづ掛けの考案者 「河津掛け」は相撲四十八手の一つで一年六場所あるうちに一回使われるかどうかの珍しい技。プロレスでジャイアント馬場の得意技「河津落とし」というのがあるが、これは河津掛けにあやかったものである。そもそも河津掛けは河津三郎が考案者といわれ、その歴史は古い。時代は平成、貴乃花対貴ノ浪の同部屋対決による優勝決定戦。苦し紛れにかけた河津掛けで貴ノ浪が優勝した。その時の国技館はわれんばかりの大拍手だったそうです。

説明文は河津町いにしえまっぷより
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